
先週末、東京タワーのそばのビルで
打ち合わせ会議があった。
会議が終わってビルからでると、入る時は
雨が降りそうだったのが、うそのような
青空が広がっていた。
東京タワー。デジタルTV時代になると
TVの発信からは、お役ごめんになるけれど
なんだか、もったいないなぁ。
地方から東京圏にきたrakkoにとっては、
東京タワーは、やっぱり東京のシンボルの
気がする。撮るときにデジカメの液晶を
のぞいていたら、気のせいか、モスラの
さなぎが張り付いている気がして、思わず
笑ってしまった。
新しくできるタワーにも怪獣は宿るのだろうか?
デジタルTVといえば、ほんとに普及するのだろうか?
rakkoの家には、まだない。近所の家にもほとんどない。
理由は、簡単。
別に今のままで、なんら不自由はないからである。
無理やり消費活動を拡大するために政府と一部メーカの
ためだけの政策なんだろうなとおもう。
今はやりの脅迫的な環境保護運動も問題なんだろうな。
環境保護といえば、家の車を入れ替えることになった。
理由は、来月車検なのに、3台に渡ってお世話に
なっていたお店が本国の都合で閉鎖されてしまったからである。
アメ車だけど、世間がいうほど故障もなく、実用性や燃費も
国産とくらべても遜色なかった。安全性に関してみると
国産の嘘くさい安全性のデータとは、まったく違った本当の
安全を保証してくれていた。なにより楽しかった。
昔の機械式のカメラのように、制御に電気が必要でない車で
あれば、メーカがなくなろうと乗りつづけていたいと思う。
が、今の時代、アメ車といえども、制御のかなめは
コンピュータであり、電機部品の塊であるからには、
そうもゆくまい。
我が家の場合は、家族そろって、車は趣味である。
車とは、なにか。それは乗るだけで楽しいものである。
乗っても楽しくないものは、自動車と呼びわけている。
自動車は、いらない。
と言うわけで、たんなる移動手段のハイブリッド車は
パスである。
悲しいかな、今の国産、独逸車は自動車しかない。
数年後には、数少くなった車と呼べそうなものも、
燃費だ、環境性能だとかの名目で買えなくなりそうである。
家族会議の結果、老後の蓄えを諦めて、今まで
背伸びをしても買えそうになかった車に買い換えることに
した。どうせ、年金もない時代になっているだろう。
働けなくなった時は、貯金がつきた時点で人生の終わりに
なるのなら、それが2~3年短くなるだけのことである。
バカな家族だと思う。だけど、それでいいと思う。
ただ悲しいのは、カメラに例えるとライカ、ハッセル、ローライ
と同様にその会社が輝いていた時代の製品に比べると
今、手に入るものは、はるかに質と気位が落ちていることである。
ギターに例えるとマーチンの昔と今を比べても同じである。
結局、すべての工業製品はコスト低減のもと、堕落してしまった。
それでも、国産や独逸車に比べるとまだ転がす楽しみが
あることは、確認できたので、決めてきてしまった。
深い意味も考えずに環境と言う言葉に踊らされている人から
みると白い目で見られることだろう。
だけど、乗る距離から考えると絶対量としては、環境対策を
うたっている車で多くの距離を走る人と比べれば、我が家の
ほうが、環境への負荷は小さい筈である。
まぁ、本当は今の車を乗りつづけるのが、新しい車を作らなく
済む点で一番の環境対策だとは思うけれど・・・。
そう、これは世間的には非環境宣言だけれど、
実は、電池まで必要とする車に比べると在来車を
最小限乗るほうが、環境には優しい思う宣言でもある。
ちまたでは、ハイブリッド車が未曾有のブームである。
環境に優しい、エコカーであるという。
が、rakkoはそうは思わない。製造過程でのCO2の使用量は
間違いなく、ハイブリッド車のほうが増えているであろう。
電池の廃棄とか考えると、そちらの方が恐ろしい・・・。
日本人的には、エコカーのエコは、エコノミーのエコと
勘違いしているのではないかと、TVコマーシャルとかを
見ていて思ってしまう。が、ここにも大きな嘘があると思う。
「ハイブリッド車、電池交換」とかでググッてみると信じられ
ないような、電池交換が不要、タダ同様みたいな話が
でてきたりする。こういう情報操作する会社が一番売れて
いる一番大きなメーカというのは、飽きれたを通り越して、
なんだか悲しい。
隣人がもうひとつの今売れているハイブリッド車の
お店で電池交換について聞いてきた。そこの会社は
最初は、言い渋っていたけど結局は、電池交換の
時期や価格について正直に教えてくれたそうで、
結局ハイブリッド車の購入はやめて、まだ今の車を
乗るとのこと。こちらの会社には、まだ良心が残って
いるみたいで、すこし気分が安らいだ。
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